山岳会のあゆみ

昭和3年   山岳同志会生まれる。犬ヶ岳連峰、耶馬溪の山を主として行動す。
昭和5年 3月 中津山岳会結成、荒木益蔵会長となる。
昭和7年 8月 英彦山、犬ヶ岳の初縦走に成功。
昭和10年 4月 耶馬溪大平山にクラブヒュッテを造る。(17年の山火事で消失する)
昭和11年 8月 屋久島遠征。宮之浦岳、永田岳の縦走する。
    大分合同新聞に登山記を寄稿。
  10月 大平山、経読岳、犬ヶ岳の縦走なる。
昭和16年 12月 荒木益蔵会長死去。犬ヶ岳の縦走成る。
昭和23年 10月 第三回国体福岡大会、久住山を中心におこなわれ、役員数名を送る。
昭和24年 10月 第四回国体東京大会に諏訪、安田参加。(冬季富士山)
昭和25年 1月 大分県山岳連盟結成に伴い加盟する。
昭和28年 9月 第六回県体登山を英彦山、犬ヶ岳にて挙行、担当する。
昭和30年 12月 NAG(中津アンザイレングルッペ)発足。
昭和31年 1月 大山冬山合宿を始める。
  1月 犬ヶ岳〜大平山縦走路を整備する。
  3月 黒仁田、恐ヶ淵谷遡行、洞鳴等近くの岩場を探る。
  12月 耶馬溪中摩殿畑山、釣鐘山の縦走を開拓。
昭和34年 8月 北アルプス、烏帽子〜穂高縦走する。
  9月 第十二回県体登山を中摩殿畑山、大将陣山にて挙行担当する。
昭和35年   NAG(中津アンザイレングルッペ)八面山南壁の開拓に着手。
  2月 左岩壁、右フエィス中央ルート初登攀。
  3月 大ハング帯試登。
  5月 右岩壁、第2ート初登攀。
  7月 九州山岳連盟結成、諏訪、会長となる。
  8月 北アルプス後立山縦走する。
昭和36年 1月 北アルプス遠見尾根より五竜岳に登る。
  8月 穂高、奥又白谷に合宿する。
  10月 岳滅鬼より犬ヶ岳〜大平山縦走する。(24時間登山)
昭和37年 8月 剱沢で合宿する。
昭和41年 10月 第21回国民体育大会、九重山、祖母山系で挙行。諏訪氏実行委員長となる。
昭和49年 4月 屋久島、宮之浦岳〜永田岳10名にて縦走。
  5月 犬ヶ岳、シャクナゲ登山ジュースボッカ始める。
  9月 女性会員だけで県体参加。
昭和56年 6月 第21回全日本登山体育大会に女性4名のメンバーを派遣。
昭和57年 5月 大韓民国、智異山海外遠征メンバー5名を派遣。
昭和59年 8月 大韓民国、晋州自由山岳会会員4名を招請し北アルプス穂高連峰登山。
昭和63年 11月 創立60周年記念祝賀会開催。
平成6年 9月 第47回県体山岳競技(太田村、鋸山) 総合優勝する。
平成7年 9月 第48回県体山岳競技(院内町、鹿嵐山) 総合優勝する。
平成9年 11月 創立70周年記念祝賀会開催。
中津市民講座に講師として重廣恒夫氏を招き「ひとすじ求めて」ヒマラヤから
日本百名山連続踏破の記念講演会を開催する。16日、重廣恒夫氏と由布岳に登る。
平成14年 8月 第41回全日本登山体育大会くじゅう山系、祖母山系で開催、役員数名を派遣。
平成17年 10月 山口、吉永、小倉、本木の4名は、北アルプス槍ヶ岳から前穂高を縦走し岳沢に下る。
平成20年 7月
13日
中津市体育館ダイハツ九州アリーナのトレーニングルーム内にボルダリングウォールが完成し記念式典が行われる。
平成20年 9月 創立80周年を迎え、有志8名で中央アルプス、木曽駒ヶ岳に登る。
  11月 筋湯温泉「日向」に泊、翌日久住山に登る。記念誌と山の歌集を発行する。
平成21年 3月 山口、古川、松本の3名は会員のサポートを受けながら大日岳から英彦山、犬ヶ岳、経読岳、雁俣山を縦走し大平山から洞門に下る。
  9月 畑中、山口、古川、目黒の4名は北アルプス、北鎌尾根を縦走し槍ヶ岳を登攀する。
平成22年 2月
11日
第一回チャレンジ「中津」ボルダリングコンペがダイハツ九州アリーナで行われ女性部門で池田が優勝する。
     

祖母山賛歌(中津山岳会のうた)

1 風に落ち葉が舞い落ちる
水も清けき メンノツラ
笹をかきわけ 進んで行けば
滝の流れに しばしの思い
かかる しぶきの ここちよさ
3 今日は九合目小屋泊まり
親父自慢の 山歌を
仲間とともに 聞いてる夜は
いろりのけむさに 泣けてくる
外じゃ キツネも ないてるよ
2 ミヤマリンドウ咲きたるは
国観峠に でる小道
ザックが肩に 食い込むような
急坂あえぎ 登るとき
ポツンと 一輪 咲いてたよ
4 ランプ頼りに 頂へ
天狗 古祖母のピーク越え
尾平すぎれば 本谷山と
長く苦しい 縦走路だよ
今日の ねぐらの九折まで 九折まで